
少しずつ、本当に少しずつ『生きる』ことをし始めた。
そしていつの間にか監視というより、世間知らずの少女の面倒を見ている感覚になってきているナルト。
これはほんの少しずつが自分を出してきた、そんな頃のお話―…
四.変化 U
「猛獅子さん、猛獅子さん」
「この姿の時はその名前で呼ぶなっつったろ」
「そうでした、タケさん。あれは何ですか?」
「あ?あれは火影岩。歴代の火影の顔が彫ってある」
「火影岩…あ、タケさん、これは何に使うんですか?」
「これは―…」
ナルトとは、現在買い物帰り。ナルトは猛獅子姿でもない、いつも日中彼女と外に出る姿(黒髪・短髪・真っ黒な瞳)のため、呼び方を窘めた。最近は買い物で外に出る時はもちろんだが、読んだ本の内容、窓の外の景色でも、目に見える疑問すべてをあれこれ聞いてくる。
―…あれはなに?
―…これはどうやって使うの?
―…何のためにあるの?
質問の形は様々で、それは自身が回りに興味が出てきた証拠である。初めこそ、その小さな疑問一つ一つに答えるのがすごく面倒に感じていたナルトも教えることで新たなことを発見出来たりできるし、何よりが周りに興味を持ち始めたことに嬉しさを感じていた。また任務以外で「誰かに頼られる」ということも、ナルトにとってくすぐったくもあり、同時に嬉しかった。そんな「あれなぁに」の時間を、ナルトは密かに楽しみにも感じていた。
そんなある日、猛獅子は本体での家へと訪れていた。監視ではなく部屋にいることを約束して以来、猛獅子の居場所は常にソファ(新たに外出して買ったもののうちの一つ)の上になっている。そこで猛獅子は部下からの報告書(彼女に読まれないよう暗号化済)を読んでいた。
一方はダイニングテーブルで朝から熱心に何かの本を読んでいたのだが、くるっと猛獅子に振り返ると、遠慮がちに話しかけた。
「た、猛獅子さん」
「ん〜?(なんだこのクソみたいな報告書は…誰だよ)」
「あの、お忙しいでしょうか?」
「…(報告者はレイか)」
「あの…お買い物に行きたいのですが、行ってきてもいいでしょうか?」
「おう、行くか(あいつ、一回〆る)」
「いえ、あの、一人で行ってくるので、猛獅子さんはお仕事続けていてください」
「…一人で?お前が?」
それまで目の前のの報告書の出来の悪さに、正直の言葉を真剣には聞いていなかったが、思いがけない言葉に猛獅子は報告書から目を離し、に目を向ける。はじっと猛獅子を見つめて、小さくコクコクとうなずいた。初めて買い物に行って以降、不安がるを連れて常に一緒に行っていた。既に何度も行っているので、何がどこにあるかは把握できていると思う。お金の使い方も教えたし、家から商店街までの距離もさほどない。ただ、突然どうしたのだろうか。仕事をしている自分に遠慮したのだろうか。そう思うと少しだけ申し訳なさを感じて、猛獅子はを見て言った。
「わりぃ、気ぃ遣わせたか?一緒に行けるぞ?」
「いえ、大丈夫です。そろそろ一人で行けるようにならないとだし、それに―…」
「それに?」
ちら…との視線がダイニングテーブルへ向く。猛獅子もその視線の先を確認するが、なんてことのないいつもの風景が広がっているだけだ。は頭を小さく横に振ると、猛獅子を見上げて言った。
「何でもないです。行ってきます!」
そういうや否や、はお財布を手に走って行ってしまった。しばらく呆然としていた猛獅子だったが、小さな笑いが漏れる。
―…オレが寂しく感じてどうすんだっつーの…
いつの間にかとの買い物を楽しみにしていたことに気付いたが、それに気付かぬふりをした。そして一人で帰ってこれたら誉めてやろうと再び報告書に視線を戻した。
********
しばらくすると、彼女は帰ってきた―…大量の食材を手にして。今まで小さなパンや果物など、調理を必要としないものばかりを食べていたので肉や魚、野菜を手に帰宅したに猛獅子は驚いた。は猛獅子を見ると、少しだけ照れたように言った。
「ちゃんと、一人で行けました」
「……」
「猛獅子さん?」
誉めてください、とばかりに期待する彼女の大きな瞳に映る自身の顔は、まさしく困惑していた。この食材、どうすんだ?まさか…。猛獅子はダイニングテーブルまで近づくと、上にある本の表紙を見る。そこに書かれていたのは【おもてなし料理本〜上級者向け〜】…そう、は『料理』をするようだ。だが猛獅子はあることが気になった。
「…お前、料理したことは?」
「ないです」
…だよな、お嬢だもんな。だと思ってた。ナルトは思った通りの答えに小さく頷いた。
「で、何を作る気だ?」
「そこに載っているものを何品か」
「これ、上級者向けって書いてないか?」
「そうですけど、何となく作れそうな気がしてるんです」
「お前バカか。料理したこともねー奴が【作れそうな気】で作れるわけねーだろ。初級者向けの本は?」
「ないです。それも元々ここの本棚にあったものなので…」
「「………」」
まるで叱られた子犬のようにしゅんとしてしまった。そんな姿に猛獅子は「はぁ…」とため息を漏らした。
「そもそも、なんで急にしたこともねぇ料理しようとしたんだ?」
「……」
「?」
しゅんとしているは、ちらりと猛獅子を見上げる。そしてとことこと歩いてどこかへ行ったかと思うと、ある新聞記事を猛獅子へ渡した。そこには【手料理は忍を強くする】という記事が載っていた。
「これ読んで、猛獅子さんに作ってあげたいと思ったんです…」
猛獅子さんは充分強い忍だと聞いてはいるのですが、影分身と交代とはいえ24時間私のところにいて疲れてるだろうなって思って…だから一人で買い出しに行って、一人で作って、喜んでもらいたいなって…そういって「ごめんなさい…」と小さくつぶやいた。
「何で【気】で作れると思ったんだ」とか「三代目はなんでこんな本を本棚に入れてたんだ」とか、いろいろ言いたいことはあるが、意を決して料理をしようとしてみたきっかけが自分だと言われ、思い浮かんだ言葉をすべて飲み込むしかなかった。それに彼女自身が【猛以外の誰かのため(ましてやそれが自分のため)】に初めて動いた記念すべきことだ。ここはむしろ誉めてやるべきなのかもしれない…。そう思うと、猛獅子は呆れたような、少し困ったような笑みを浮かべ、の頭にそっと手を置く。そしてわしゃわしゃと頭をなでると、自分より数十センチ下にある彼女の顔を見る。
「わかった、一緒に作るか」
「!!」
「…って言っても、俺もチャーハンしか作れねぇんだけどな」
「ふふっ」
「!!」
小さく声に出して笑うを初めて見た。それが嬉しくて、猛獅子―…ナルトは何故かわからないが少し泣きそうになった。そしてその日は本を見ながら、一緒に食べ物と言えないようなものを作って、大笑いした。
********
それ以来、は料理に何度もチャレンジしていた。少しだけ出来る猛獅子と一緒に料理に挑戦していたが、センスがないのかの料理スキルはなかなか上達しなかった。正直【作れる気】ではどうにもならないレベルだ。あの時一人で作らせずに本当によかったと、ナルトは自分の判断に自分自身を何度も褒めたくらいだ。そして失敗するたびに、猛獅子が唯一作れるチャーハンを作って一緒に食べた。
だがある日、事件は起きた。影分身の猛獅子と一緒に調理していたが、が包丁を持ったまま躓いてしまった。それを支えた影分身にあろうことか包丁が突き刺さり、白い煙と共に消えてしまったのだ。料理はまだまだ途中…影分身によると本体の帰還は19時。影の猛獅子さんごめんなさい、と思いつつ、一人でなんとか作ってみようとは腕まくりをした。
「?!」
「おい、どうした」
その頃ナルトは明虎と共にSSSランクの任務に就いていたのだが予期せぬタイミングで影分身からの情報が流れてきて驚く。とりあえず彼女は怪我はしていないようだが…。
「何やったら包丁持って転ぶんだよ…」
「は?」
「なんでもねぇ…」
今日の夕飯はいつもよりひどいかもな、と思うと胃のあたりがひりひりして無意識に手を当てる。だが今の殺気立ったこの場所に似合わない、少しだけ柔らかい空気がそこにあった。そんな様子を見ていた明虎は小首をかしげるが、ターゲットが動くのが視界に入った。
「おい、タケ」
「あぁ、やっと尻尾出しやがった。いくぞ」
先ほどの柔らかな空気は一瞬にして消え、あっという間にぴりっとしたものが伝わる。そして二つの黒い影は次の瞬間には赤黒い海の中心に立っていた。
********
「…」
「が、頑張ってみたのですが…」
猛獅子姿のナルトがの家に着いたのは、予定時刻より1時間遅い20時過ぎ。一人での初めての作品を前に、ナルトは思わず絶句していた。テーブルの上にあるのは、米と思われる白いごつごつしたものと、やけに赤茶色い味噌汁になるはずであっただろう液体。それに大小様々な大きさのある野菜の炒めものが一つ。猛獅子は明日の自分の体調を受け入れる覚悟をして黙って席についた。食べる前の挨拶をしっかりとして、二人は同時に野菜を口にする。
「…」
何とも言えない…表現するなればそう、『個性的なのは結構だが、個性が強すぎんじゃねーのか』的な…そんな味。濃すぎて味を薄めたい…そんな状況に陥り、続いて二人は揃って白い物体を口に頬り込む。
「……」
堅い…堅すぎる…。米の芯が残っちゃったとか、そんな可愛らしいものではない。米粒を通り越してカピカピになった餅レベル…うん、この言葉が適切だ。飲み込めない…そんな状況に陥ったため、二人揃って味噌の匂いはある茶色い液体を口にする。
「………」
しばしの沈黙の後 窒息しそうになりながらもゴクンッと丸ごと飲み込む二人。その後しばらく俯いてしまった猛獅子は、突然ふるふると体を震わせると爆笑しだした。
「あははははっ!!お前、どうやったらこんな物体作れんだよ!」
「ぶ、物体って言わなくても…!」
「大体、この茶色いしょっぱいの何だよ」
「大根のお味噌汁です」
「ぶふっ!!大根の姿がねー!」
「火をつけっぱなしにしちゃっていたみたいで、消えてしまいました…」
「あははははっ!!やっべぇ、涙出てきた!!」
「そ、そんな笑わないでくださいよぉ…」
はしゅんとしているが、その姿さえも笑えて仕方ないナルト。本来の自分よりもきっと年上であろう彼女が可愛い、とすら感じた。もしこの場に暗部の部下がいたなら、こんなバカ笑いする姿だけでも驚くだろうが、この感情を言葉にしたなら、もっと驚くだろう。そんなことを頭の片隅に思いながら、ナルトは涙をぬぐいつつを見た。一方彼女は、いつまでも笑っている猛獅子の姿を見て少しムスッとした顔をした。
「猛獅子さん、笑いすぎですよ」
「わりぃわりぃ、あまりにもひどい出来なもんで」
「そうですけどー…まぁ、いいです。パン、持ってきます」
流石に食べられない…そう判断したのか、は明らかに不機嫌な雰囲気を醸しながら代わりに夕食となるであろうパンを取りにキッチンへと向かう。ナルトはそんなの背中を眺めながら、また笑いをこぼした。
********
思いがけず一人で作ることになった料理は、結局食べられるような出来にはならなかった。それだけなら次頑張ろうって思えるけど、思いの外笑われてしまった。あんなに笑わなくたっていいじゃない…そう思い、少しムッとした。
―…あ、でもムッとするこの感情も久しぶりな気がする…。
そんなことをふと思い、イラっとはするけど少しだけこの感情が嬉しくなった。そして忍たるものちゃんと食べてもらわなきゃ、と思い、気持ちを入れ替えてパンを手にリビングへ戻る。そしてパンを猛獅子に差し出そうと彼を見ると、彼の茶碗にあった白い塊が消えていることに気付いた。
「え…?」
彼の顔を見ると口をもぐもぐ動かしていて、箸は大きい野菜の塊を挟んでいる。そしてそのまま口に持っていき、咀嚼する。続けてお椀にあった茶色い液体を口に運び、空にした。驚いて固まっていると彼は自身の顔の前に綺麗な手を合わせ、ニッと笑ってごちそーさん、と言った。私は手渡そうとしていたパンの袋を握りながら、驚きでただじっと彼の顔を見つめることしか出来ない。
―…お腹壊さないだろうか…大丈夫かな。でも、食べてくれた…。
猛獅子のために初めて一人で作った料理。失敗したけど全部食べてくれた。彼の優しさに申し訳なさと心配と、素直な嬉しさで心が温かくなる。
―…今日はいろんな感情が生まれたなぁ、ちょっとくすぐったいな。
そんなこと思いながら、目の前にいる猛獅子に微笑んだ。そしてお礼を言おうと口を開いたとき、そんな私の気持ちを踏みにじるかのようなニヤッとした彼の表情と、放たれた言葉にまたもイラっとした。
「やっぱうまくねーから、もう一人で作んなよ」
この日からの家に初心者向け料理本が増えたのは、言うまでもない。