
一人で次の一歩を踏み出そうとすることほど、勇気のいることはなかなかない。
でも近くに人が一人でもいることによって、不思議なことに少しだけ踏み出せる力が湧いてくる。
いつまでこの気持ちが続くかわからない。
どこまでこうやって先に進めるかなんてわからない。
相変わらず『生きること』を模索中であることには変わりない。
だけどこうやって、少しずつ視界が開けていくような感覚や新しいことを知って、一つずつ身に付けていく感覚。
その一つ一つに、私は少し『楽しさ』を感じ始めてたんだ…
四.変化 T
新たな一歩を踏み出す決意をした日から三週間。気がつけばとっくに新しい年を迎えていた。最初の数日間は特に何の変化もない生活ではあったが、あの日以降の周りには三つの大きな変化があった。
一つ目の変化。それは少しだけ外に出歩くようになったこと。
猛獅子によって生きるってことを頑張ってみよう、と決めたまではいいが、実際のところ何をどうすればいいのかさっぱりの。今までの『猛本位』だった自分の考えや生活を、『猛と自分のため』に変えなくてはいけない。頭では理解しているのだが想像するだけで不安な上に、考えても考えても先が全く見えず行動を起こそうとする度に底の無い恐怖心によって阻まれる。だからやっぱりあの空っぽの空間で一日中、ぼーっとしてるしかなかった。
そうやって数日過ごしていたある日、相変わらずゆっくりな時間を過ごしているの目の前に「おい」という言葉と共に影分身と入れ替わりで、本体の猛獅子が現れた。そしてとんっと小さめの袋をに押しつけて言った。
「三代目がこれで必要なもん揃えろ、だってよ」
無遠慮に押し付けられた袋を受け取り、中を覗き込む。するとじゃらっ…という音が鈍く響き、中には硬貨が数十枚入っていた。
「必要なもの…」
「あぁ、何かあんだろ」
「…」
ここにはが住み始める前に三代目が準備しておいてくれた、必要最低限な生活必需品が準備されていたので、今のところ特に思い浮かぶものはない。どちらかといえば飛ばされて来る前よりも不自由を感じていない、というのが正直なところだ。それに買い物に行くとなると、屋外へ出なければならない。この時代にとって自分が異質な存在であり、同じ里でも『別の時代』という現実を否応なしに受け入れざるを得ない状況になること、またそれ以前に『ここに来る前の世界での習慣』からか、にとって『家の外に出る』行為は途方もなく勇気のいることだった。最後の最後まで外出することを渋っていたをじっと見つめていた猛獅子。しばらくすると、獅子面の下で口の端を吊り上げると、驚きの言葉を口にした。
「残念ながら…」
「??」
「引き込もりのお前を外に連れ出すの、今日の俺の任務の一つなんだよな」
「え?」
「つーわけで悪ぃな、今日は有無を言わさず連れ出す。文句はじぃちゃんに言えよ!」
そう言うや否や、を横脇に抱えて瞬身の術―…気付いた時にすでには商店街の入り口に立っていた。
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初めて見る昼間の木の葉の町は温かな光に包まれていて、明るくキラキラ輝いている。人も草木も家々も、すべてが生を楽しんでいるように見えた。そんな光景にやや目を細めながらもはふと隣を見ると、そこには猛獅子とは明らかに異なる風貌の男性が立っていた。黒髪短髪にうっすら日に焼けた肌、そして真っ黒な瞳…思わず眉間にしわを寄せ、じーっと見つめる。ごくわずかに感じられる彼の周りに纏う空気・雰囲気・匂い…すべてが今まで私のそばにいた猛獅子さんと同じ。そう確信すると、はふいっと前を向き、何も言葉に出さずに歩き出す。そんな彼女の行動にやっぱり驚きを隠せない猛獅子。
「なんでわかんだよ…」
背中からポツリと、小さな疑問の声が響いた。
何か気になるもんがあったら自由に行けよ。後ろからついてっから。猛獅子はそうやって言ってくれたが、は正直、何をどうすればいいのかわからない。地理的にも無知、ということもあるが、の今の問題はそれ以前のもの。少し考えるかのように小首を傾げ、目だけをキョロキョロさせていただったが、言い辛そうに猛獅子に話しかけた。
「…猛獅子さん」
「あ?」
「…ごめんなさい…わかんないんです」
「何が?」
そこまで言うと しばらくの沈黙が二人を包む。えーっと…あの…なんて口を濁すと、そんなの次なる言葉を待つ猛獅子。濁った言葉を数十回吐き出したかと思うと、突然意を決したように顔をぐいっと上げ、真っ直ぐに猛獅子を見つめながら言った。
「私、お買い物したことがないから…お金の使い方がわからない…です」
「…は?」
猛獅子にとって、まさに衝撃的な事実とはこのことだった。
…女が買い物をしたことが無い?冗談にも程があるだろう…
そんな猛獅子の表情を読み取ったのだろう、言葉を発した当の本人は落ち込んでいるかのようにシュン…とてしまった。だが猛獅子は、が発した次の言葉によって、更に驚きを隠せない状況になってしまった。
「だって明るいうちに町に出るなんて、初めてなんですもん…」
…待て待て待て待て、どういうことだこりゃ。確かにこいつは今の時代の人間じゃねぇ…五十年くらい前の時代に生きていたヤツ。当時すでに里も少しずつ完成してきていて、一族単位の国の時代よりは安定し始めていたはず。それなのに何だコイツ、『通貨が変わっていてわからねぇ』じゃなくって『金の使い方がわからねぇ』?買い物もしたことがねぇ上に、『明るいうちに町に出るのが初めて』ってか…?この数分で得たこれらの情報と、これまでにもらっていた一族の情報を頭の中で整理し、猛獅子はあることをピンっと閃いた。
―…こいつ、お嬢か!!!
この『お嬢説』に納得し、うんうんと一人満足そうにうなずく猛獅子を隣で見上げながら、は不思議そうに小首をかしげていた。そしてその後 なぜか『後ろからついていく』宣言をしていたのに突然引導し始めた猛獅子によって、必要なものを買い揃えることができた。
このことをきっかけにお金の使い方も覚え、本当に少しずつだが、猛獅子に付き添われて外に出るようになった。
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二つ目の変化。それは猛獅子がの家にいる間はフードと面を取るようになったこと。
監視という形は嫌だからと、部屋にいることを約束したが故に一緒の空間にいることとなったが、どうやら常に真っ黒な全身マント姿にフード、さらには獅子面となると彼女曰く『空気が重い』らしい。 暗部がマントと面を取るとかありえないし、大体降りて来いといったのは本人だ。最初はそんなこと知るかと流していたが、毎日の「脱いで取って」の声を無視して数日がたったころ、の部屋にいた影分身から報告が飛んでくる。『このままだとが死ぬ、今すぐ来い』と。
意味も分からぬまま猛獅子本人が向かい部屋の扉を開けた瞬間、まるで地獄にいるかのような蒸し暑い空気が外に流れてきた。一歩中に入るとその暑さは増し、呼吸する空気も熱い。中に入ると、がうつぶせで倒れていのが見えた。
「おい!」
「たけ…じしさん…?」
そういって体を抱きかかえると、顔は真っ赤。この尋常じゃない暑さに違和感を覚え部屋を見回すと、暖房器具がすさまじい勢いで動いているのが目に入る。いくら一月とはいえ、異常なほどの動きだ。 とにかくすべての暖房器具を止め、窓を開けて換気する。冷凍庫から氷をだし、袋に入れて彼女の額に当てた。外から入り込む冷たい空気と額にある氷が気持ちいいのか、がじっと猛獅子を見上げると小さく微笑む。
「気持ちいいです…」
「…はぁ。バカかお前。何やってんだよ…」
「すみません…」
少しやりすぎました、そう漏らした。やりすぎた、とはどういうことだろうか。じっと見つめて先を促す。するとは少し言いづらそうに額の氷を抑えながら、言葉を続けた。
「猛獅子さん、『北風と太陽』っていう童話、知ってますか?」
「北風と太陽…」
幼い頃から一人だった猛獅子は童話とは無縁の生活を送っていたが、確かこれは誰かに読んでもらったことがある。誰だったか今となっては思い出せないが、温かい記憶な気がする。それはともかく、確か話の内容は北風と太陽が男の着ているものを脱がすためにあれこれ頑張るとかなんとか……
あらすじを思い出し、猛獅子はまさか…と那菜を見下ろす。は真っ赤な顔をしたまま、小さく微笑んで「わかりました?」と小さく首をかしげる。そう、は強硬手段に出て、部屋を暑くして猛獅子のマントと面を脱ぐよう仕向けたのだ。だが一向に影分身は脱ぐことはせず、彼女が先に意識を手放してしまった。
「お前頭わりぃな。忍がそんなので簡単に脱ぐわけねぇだろ」
「次は負けません」
「おい、まだやる気なのかよ…」
仕事を増やすな、勘弁してくれ…。自らの額に手を当て、ため息をついて見下ろす。そんな様子を見てはにっこり笑うと、猛獅子を見上げて言った。
「じゃあ次からは脱いでくれますか?」
こいつ、段々素がでてきてんじゃねーか?そう思うとなぜか少し嬉しくて、猛獅子は口元を少し上げた。
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三つ目の変化。それは毎晩、慰霊碑に行くようになったこと。
最初は出歩くのも嫌だったのに、買い物に行って以来少しだけ外の世界を受け入れることが出来たし、猛獅子と毎日会話をするようになったことで「猛にその日一日の報告がしたい」とが言ったのがきっかけだった。日が昇っているうちはやっぱりまだ気が引けるらしく、里のざわめきが鎮まった闇夜に紛れ、ゆっくり静かにそこへと向かう。最初の数日間は影の猛獅子がひっそり後ろからついて来ていたが、以前酔っ払いに一度絡まれてしまって以来、今では変化した姿での真横をのんびり歩くようになった。
「ついてきてるってお前自身にばれてんなら、隠れてる意味ねぇだろ?」
そうなことを言って毎晩、夜の道を二人で歩く。でも慰霊碑につくと、いつも一人きりにしてくれる。そんな不器用で温かな彼の優しさが、気付いたらに優しい気持ちを与えてくれていた。
いつも猛獅子が傍にいて、隣にはがいる。
たまに突拍子もないことをして、猛獅子がを叱る。
毎晩一緒に散歩して、何気ないことを何気なく話す。
こんな毎日が、いつの間にかナルトとの『日常』になっていた。