
光の見えない人間は、先を見据えて歩くことが出来ない。
そのたった一つのものを失うだけで、すべてを捉えることが出来なくなり、いくらあたりを見回しても、手を伸ばしてみても…何にも触れることは出来ない。
すごく怖い…逃げ出したい…。
それなのに遠回しに『生きろ』というキミ
『こいつの為におまえが出来ることだ』と諭すキミ
人は、光を無くしても生きられるものなのですか?
―…キミには光がありますか…?
三.唯一の光
今夜の任務が終了したのは、朝日が里を照らし出す二時間程前のことだった。これから一度帰宅し、軽く仮眠をとってからもう一つの任務…今は影が遂行している『の監視』に就こうと思っていたのに、里に帰還してすぐに影分身からの情報が流れ込んできて、あいつとの条件を理解する。その瞬間、思わず誰かさんの口癖である「めんどくせぇ…」が喉をついた。
確かにあいつの存在は気になる…あの必要以上に気配に敏感なところや、謎だらけの出会い。それにいつも無表情なくせに、義理の兄だという猛の話の時に見せた涙…。どことなくオレと似てるんじゃねぇか、なんて思ってしまったのも事実だ。
でもっ!オレはあんな甘ったれたヤツじゃねぇ!少しでもあんな甘ちゃんと同じかもとか思ったオレが嫌になる!そんなことを考えつつ、一度自宅に帰ることを諦め、真っ直ぐあいつの所へ向かった。
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「そろそろだ」
そんな声に反応して獅子面の彼の影分身は白い煙とともに消えていった…かと思えば、今度は入れ違いに本体が目の前に現れた。影同様相変わらず獅子面と全身黒いフード姿だが、少し怒ったような、困惑したような、そんな雰囲気は伝わる。そして次の瞬間には、彼に腕を掴まれつつも 家の外に出ていた。
退院して以来の外の世界。三代目の言う通り、もしここが私の生きている時代と違う『木の葉』ならば、猛もいないけど、同時に私を苦しめていた父も母も、ここにいないことになる。そうであれば前とは違い【出ようと思えばいつでも出れる環境】なんだ…そう思うと、少し興味が湧いてくる。初めて歩く木の葉の街は闇に包まれ、家も木々も建物も…すべてが眠りについているようだった。
少し前をゆっくり歩く猛獅子と、その後ろを静かに歩く。初めて出会った時にも浮かんでいた月は、依然として二人を照らし出す。
「…平和」
突然がぽつりと呟き、少し複雑そうな表情を浮かべた。納得いかないというか、信じられないというか…そんな表情。その言葉に猛獅子は少し驚いたが、すぐに納得した。もしが以前言っていた通り『二代目が就任したばかりの時代』の人間ならば、それ以前の国の無い時代―…すなわち『一族単位の時代』も知っているのであろう。あの時代はいろいろすごかったらしいしな…。そんなことを思っていると は新たに言葉を紡ぎだす。
「同じ木の葉なのに、五十年後はこんなにも違うんですね」
「そうか」
「でも…」
言葉を切り、大きく息を吸う。ゆっくり吐き出すと、小さくうなずいた。
「でも、風の匂いは私の知ってる里のままです」
そう言うと初めてほんの少しだけ…本当にほんの少しだけ、微笑んだ気がした。
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どのくらい経ったのだろうか。ゆっくりと歩いていた二人は、ようやく目的の場所へと辿り着く。人影はなく、風だけが優しく草を撫ぜる。
「…慰霊……碑…」
やっと漢字変換ができたらしい。そう呟くとゆっくりと石碑に近づき…そっと指でなぞった。彼女特有の大きな青い瞳は、ただその一点をひたすらずっと見つめ続けている。そんな様子を見ていた猛獅子はすっと身を引くと、の位置が確認できる、少し離れた木の上に移動した。
人の気配が近くに無くなると、は視線を逸らさぬまま慰霊碑と向かい合うようにしゃがみこむ。じっと石碑を、睨むかのようにきつく見つめる瞳。まるで時が止まったかのように微動だにしない体。少し強い風が吹き月が顔を照らし出した次の瞬間、透明な雫が静かに頬を伝い流れ落ちた。その様子はまるで愛しい人を思っているような、そんな光景。猛獅子は思わず視線が離せなくなっていた―。
・・・・・・・
・・・・・
・・・
しばらく静かな時間が二人を包み込んでいたが、ふとは顔を上げると、小さな声で「ありがとうございました」と囁いた。表情はやっぱり読み取れないが、特にすっきりしたってわけではないような気がする。
「なぁ、猛はお前の兄貴って言ってたよな」
「はい。母親は違いますが」
「仲良かったんだな」
「……」
「まぁ言いたくなきゃ言わなくてもいいん…」
「光…」
「え?」
「猛は兄だから慕ってただけじゃない。私の『唯一の光』でした」
さっきよりも更に強い風が二人を揺らす。それによって視界が遮られても、の視線はしっかりと慰霊碑に向けられている。
「猛は私の生きる光。生きる希望」
「…希望…?」
「そう、希望。私が生きる理由」
「生きる、理由」
「私はなぜかこの時代に飛ばされた。猛は死んじゃってるこの時代に。つまり、今の私には生きる理由が無いんです。それなのに三代目は『生きろ』って言うし、そもそも『生きる』って何なのか、私には理解できない…」
淡々と話すと、静かに耳を傾ける猛獅子。『生きる理由』…それを理解している人間が、今の時代どのくらいいるのだろうか。わからない、と話すの姿に、今より幼かった頃の自分が重なった気がした。
「言っておくが、俺個人はお前が生きようが死のうが全く興味はねぇ」
「じゃあ今すぐ殺し…」
「今現在、お前の監視及び生命の保護が俺の任務だ。邪魔はさせねぇ」
はぁ、とが小さくため息がついた。風が静かに吹き渡り、枯れ葉がカサカサと音色を奏でる。
「ただ…」
は振り返り、真っ直ぐに猛獅子を見つめる。
「猛にお前の『生きる理由がない』っていう理由を押しつけんのは、あまりにも可哀想だ」
「可哀想…?」
「あぁ。猛がいねぇから生きたくねぇ、猛がいないから死にてぇ…どんだけ猛に甘えて生きてたんだよ、お前」
今日何度目であろう、視線の先に猛獅子をしっかりと捉え、じーっと見つめる。まるで真意を見抜くような、そんな瞳。こいつのクセなんだろう、そう思った。
「ここに来る前はどんな生活してて、こいつと何があったのかとか知らねぇ。知る気もさらさらねぇ…けど」
ここまで言うと 言葉を切った。無意識に自分の過去・周りの人間の扱いなどと重ねてしまっていた猛獅子。幼いころから何度も自分に言い聞かせていた言葉をに告げる。
「…けど、そうやって誰かに甘えて生きるのも大概にしろ」
遠くに夜明けを告げる声が響いている。漆黒のカーテンはいつの間にか黄金色に染まり、猛獅子の面がうっすら見え始めている。
「お前さ、こいつにばっか頼ってねぇで『こいつの為になにかしてぇ』とかって思わねぇのかよ」
「猛のために?」
「そう。こいつの為に『今のお前』が出来ること、だ」
「今の私が…」
「何だかわかるか?」
「……」
しばしの沈黙の後わからない、という表情で見つめ返す。そんな様子を見て少し苦笑いをすると、慰霊碑を指差し、しっかりとした口調でに言う。
「こいつが見る事の出来なかったものを、こいつの分までこれからはお前が見てやることだ。今を見ることの叶わないこいつの為に…さ」
三代目も言ってたろ、『生きたくても生きられなかったヤツらの分まで、お前が生き抜け』って。そういうことだろ。そう言い放つ猛獅子の言葉に、今まで何をしてもわかりにくかったの表情に、はっきりと驚きの表情が読み取れた。それを見て猛獅子は ぽつり「驚いてやんの」と零した。
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驚いた…本当に驚いた。猛の為に、私が出来ること…そんなことがあるんだ。今まで考えたことのなかった発想に驚いたのと同時に、知らない間にずっと猛に甘えてたんだって気付かされた。屋敷の外に出ることが出来なくてずっと独りで生きてるって思ってたけど、ずっとずっと猛に甘えてたんだ。生きる理由だなんて勝手に決めて…完璧、猛に甘えてた。
猛は私に沢山の物を教えてくれた。与えてくれた。授けてくれた。今度は私が、今は会えないけど猛の為に何かしてあげなくっちゃだよね。『支えてくれててありがとう』も『ずっと大好きだよ』も全部込めて…猛に伝わるように一生懸命…。
ぎゅっときつく目を閉じて再びゆっくりと開くと、まるで決意を示すかのように小さく頷いた。その口元は少し微笑んでいる気がする。そして目の前にいる彼に静かに…だが今までで一番はっきりとした口調で声をかける。
「帰りましょっか」
「あぁ」
「ところで、あなたのお名前教えて?」
「…今更かよ」
いっぱい甘えててごめんね。気付かなくてごめんね。そしてありがとう、猛。
私自身どうやってここに来て、何のためにここにいるのか全然わからない。だけどね、猛。これから私、この時代でちょっとだけ『生きる』っていうこと、頑張ってみるよ。
―…猛の為も、私自身のためにも―…。