
…どこよ、ここ…。
意識を取り戻し辺りを見回す。
月の力が弱く、辺りはほぼ暗闇に包まれている。手足を縛られ、木に吊るされているようだ。その証拠に多少体を揺らすと、ザワザワという音と共に数枚の葉が落ちてくるのを感じた。
は小さく舌打ちをすると、状況を把握しようと瞳を閉じて神経を集中させた。
十四.想い V
潜入調査は、想定以上の結果を生んだ。一つ証拠を見つけれ芋づる式に悪事が明るみにされ、どれほどの人間が長年この貴族に虐げられていたのかが見て取れた。中には幼い子供も被害にあっており、湧き出る「今すぐ殺してやりたい」という真っ黒な気持ち懸命に抑えて、蒼猫とひたすら情報を掻き集めた。
この村の長である貴族、鈴城宮彦摩呂は典型的な最低貴族だった。自分が一番可愛く、私利私欲に塗れ、近付くだけで吐き気がした。人間を物のように扱い、この村に売られてきた彼好みの女性は、次々と餌食になった。けれどその女性たちは皆、自身の国や里のために涙をこらえ言い成りになっている。
「マイ!マイはどこだ!」
「マイはここにおりますよぉ、お館様ぁ〜」
『マイ』は私のここでの名。使用人として潜り込む時に名前が思い浮かばず、咄嗟に舞姫の『マイ』を拝借した。私は前方だけミニスカート並みに短く、また胸元も変に強調している着物のような服をひらひらと靡かせ、へらへらと笑顔を浮かべて彼に近付いた。
ヤツは使用人となってまだ日も浅く、へらへらしている私を気に入ってるようで、何かと侍らせる。というのも、そうなる様に徹底的に彼の好みの女を演じているのだ。そうとも知らず、彼は今回も私を呼ぶとぐいと腰を抱き寄せ、さも当然かのように腿を撫で上げてきた。
「…っ!!」
「今日もお前の足は最高だ。触りたくなるのぅ」
「…っ、ヤダ、お館様ったらぁ〜」
内心吐きそうになりながらも、懸命に軽い女を演じる。腿を触られるくらいで情報が得られるなら、いくらでも堪えてやる。潜入当初から、ずっと堪えてきていた。だが今日はいつもと異なり、彦摩呂の手は腿だけでは収まらず、いやらしい手つきでゆっくりと上へ上がって来た。腿、臍、くびれ、胸、顎、耳…。それはまるでナメクジが這うように蠢く手に、気持ち悪さで鳥肌が立つ。咄嗟に顔を背けると、ヤツは私を抱き寄せ首筋に吸い付いた。
「っっやっ!!」
拒絶の言葉と共に、演じていることも忘れ思わず突き放す。心配した蒼猫が駆け寄り、私の肩を抱いてくれる。私は離れたやつを睨むと、ヤツは気持ち悪い笑顔を浮かべて言った。
「マイ、今晩我の部屋に来い」
「…え」
「お前を大人の女にしてやる」
「これは光栄なことなんだぞ、なぁ?」と他の使用人たちに笑いかける。本心では誰一人として同意出来ずにいるが、そうと知られれば命はない。彦摩呂は私の前にしゃがみ込み顎を持ち上げると、唇にゆっくりと指を這わせニヤつきながら去っていった。
「…大丈夫ですか…?」
蒼猫が小さく声を掛ける。心配そうに私を見る彼女に小さく頷くと、他の人には分からぬよう口を動かさずに言った。
「今晩動く」
「?!」
大人の女にしてやる…?ふざけんな。あんなヤツに抱かれるくらいなら、淀に意識を全て持っていかれた方が全然マシだ。だいぶ私情も挟んでいるが、ヤツへの怒りゲージもだいぶ溜まっているし、今晩全て終わらすことにした。だが一つだけ問題が…。
「でも、捕虜たちの場所がまだ…」
そう、ヤツが客へ売り飛ばす捕虜たちが、この屋敷のどこかにいるはずなのだ。そのリストは見つかっているが、肝心のその捕虜たちの居場所がまだ見つからない。総攻撃をかけることは簡単だが、彼らに被害があってはならない。私は唇を噛み、覚悟を決めた。
「…夜、ヤツ自身に吐かせる」
「…それは…」
「大丈夫、吐かせたらすぐ捕縛する」
同じ女性として心配してくれる彼女を安心させようと、小さく笑った。そうと決まれば里に報告だ。私は体調を崩したフリをして蒼猫と共に部屋に戻り、怒りに震える筆を何とか抑えながら文を書き、忍鳥を飛ばした。
―…子の刻、計画通り潰します…。
********
その日の晩。私は屋敷以外の村全体に幻術をかけ、何も罪のない村人たちを森へ避難させた。移動完了後に木の葉の人間が事情を説明し、事前に準備した新しい村へ移住してもらう手筈になっている。
幻術にかかった村人が静かに移動していく姿を確認すると、私は彦摩呂の部屋へと足を運んだ。ヤツは今晩私を抱く気でいるだろうが、こちらはヤツの貴族生活を終わらせる気満々だ。作戦では、子の刻までにヤツに吐かせ、吐いた瞬間捕縛する。それと同時に里からの援軍が来るはずだ。本心としては、今まで彼が買って虐げてきた人たちの分も苦しめながら殺してしまいたいが、三代目が全て吐かせるまで生かせと言うので【捕縛】だ。
襖の前まで来ると、深呼吸を一つする…よし、今から私は彦摩呂好みの『マイ』だ。
「お館様ぁ、マイが来たよ〜」
「入れ」
襖を開けて部屋に入ると、そこには布団が一組敷かれており、枕元にある灯が柔らかいオレンジ色を作り出していた。そのいかにもな雰囲気にゴクリの喉を鳴らすも、動揺がバレないよう即座にヘラッと笑顔を浮かべ、足を踏み入れた。彦摩呂は待ってましたとばかりに私に近付くと乱暴に抱き上げる。そして布団へ連れていくと、そのままの勢いで覆い被さる。
「っ、!!」
思わず蹴り上げそうになる脚を必死に堪え、至近距離でじっと見つめられる。彦摩呂は私の顎に手を添えると、熱い眼差しのまま顔が近づいてきた。今にもキスされそうな状況に小さな震えが止まらない私は、少し恥ずかしそうにしながらそっと彼の口に手を当て遮った。
「ねぇお館様、抱かれる前に一つお願いがあるの」
「…なんだ」
私はわざとらしいくらいの上目遣いをすると、人差し指で彼の胸板をツンツンしながら言った。
「マイね、マイの下に使用人が一人欲しいの。今いるアオイって、マイと性格が全然合わないんだよねぇ?」
「わかった、売り物の中から適当に連れてきてやる」
「違くてぇ、マイが自分で選びたいの〜」
「…わかったから黙れ」
「ほんと?わぁい、ありがとー!ねぇいつ?いつ選ばせてくれる?」
わざと明るくいいながら、さり気なく彼の下から抜け出そうとする。それを逃さまいと腕を取られ、耳を舐められる。
「っ?!」
「この話は後だ、黙って抱かせろ」
「…でもお館様忘れん坊さんだし、今ちゃんと決めたいよ。それかマイ、明日自分で決めに行くよ」
「分かった分かった、好きにしろ」
そう言うと着物の合わせを乱暴に開き、手を這わす。その感覚に気持ち悪さを感じつつ、ちらりと遠くに見える柱時計に目をやる。子の刻まで、あと少し。時間になれば情報を聞き出せていようといまいと、東西南北から暗部の援軍が攻めて来てしまう。その前に何とか聞き出し屋根裏に潜んでいる蒼猫に伝え、捕虜たちを保護しないければならない。そんな私の考えなんて想像もしていないであろう彦摩呂は、私の胸元に朱を散らし始めていた。
「…っん…!」
「お主の真っ白な肌によく映えるのぅ」
「…お館様の変態さん…んぁっ…!」
変な声が出ないよう歯を食いしばるも、初めての感覚に声が出てしまう。背中がぞわぞわして、気持ち悪い。あと少し…あと少しだ…。耐えろ、私…。
「そしたら明日選びに行くから、売り物さんの居場所、教えて?マイ、場所知らないもの」
「いくらお前でも言えないな。明日連れて行ってやる」
…バカなの?!明日にはこの村は壊滅状態になってるのだ。今言え、今!!焦り始めていた私は、時計をちらりと確認する。あと寸刻…時間がない。私は上半身を起こし着物の袷(あわせ)を抑えると、わざとらしいくらい不満そうな表情を浮かべた。
「えー、でも明日お館様、外出でしょ〜?誰にも言わないから教えてよ。ね?」
「すべては明日だ、もう黙れ」
「いーや!だって、前もそうやってはぐらかされたもの!マイ、忘れてないんだからね!」
以前キスを求めてきた彦摩呂相手に、する代わりにその時見つかっていなかった『人身売買の相手国』についての情報を得ようとしたのだが、さんざんキスしてきたかと思ったらそのまま外出し、のらりくらりと躱されてしまっていた。あれははっきり言って最悪だった。そして今回は同じ失態を繰り返す時間もない。
私は意を決し、目の前にある気持ち悪い彦摩呂の頬にそっと手を添える。そして熱っぽいまなざしを向け、小さく呟く。
「ね、お館様。今居場所を言ってくれたら、あとはー…」
「…あとは…?」
ごくり…と生唾をのむ音が響く。絹がすれる音とともに胸元の袷をゆっくりと落とし、耳元で囁いた。
「好きにして…?」
「!!!」
普段とのギャップにやられたのか彦摩呂は再び私を押し倒し、体中にキスしながら体を弄り始めた。私は耳元ではぁはぁ言っている、今にも殺してやりたい相手を無理やり引きはがすと、じっと目を見つめて首を傾げた。さぁ、言え。
すると彦摩呂は私を抱き寄せ耳を一舐めすると、耳元でそっと呟いた。
「東棟地下3階だ」
「!!!」
視線だけで柱時計を見れば、ギリギリ子の刻少し前。私は組み敷かれた状態のままニヤリと口元をあげると、声を張り上げた。
「東棟地下3階!行けっ!!」
「な、なにをっ?!」
驚く彦摩呂を余所に、ドサッと何かが屋根裏から落とされる音が響く。その瞬間、私は組み敷かれている巨体を蹴り上げ、抜け出した。蒼猫が屋根裏から落としたもの…それは私の忍具の入ったホルスター。それを拾い上げ、一緒に落とされた纏いなれた藍色のマントを身に着けると、クナイを構えた。
それと同時に外で爆発音が響き渡るー…子の刻だ。「奇襲だーー!!」という声と共に再び爆発音が響き、あちこちで刀や忍具のあたる音が聞こえ始める。
「…どういうことだ」
「時間切れだ、彦摩呂」
そういうと豹面をつけ、彦摩呂目がけてクナイを投げつける。それと同時に彼の暗殺部隊が現れ、あっという間にはじかれた。彼直属の暗殺部隊がいるのは想定内だが、まさか五人もいたとは。この狭い屋敷内で彦摩呂入れて六対一…まずはここを出るとして、早く蒼猫が帰ってくることを願うしかない。
「その面…お主が舞姫だったか」
「…残念だったな、バカで可愛い『マイ』が幻で」
「くくっ、構わぬ。我は元々お主に会ってみたかったのだからな」
素顔を見てますます欲しくなったー…そう言うとニヤリと笑い、一言「捕らえよ」と指示を出した。こちらもお前を捕えるために来たんだ。今まで耐えていた分、きっちり返させてもらうつもりだ。
「淀、暴れるよっ!!」
『待ってたぜ!!!』
六対一…?ちがう、六対『二』だ。手早く印を組むと同時に淀のチャクラも練りこみ、叫ぶ。
「『水雫天翔っ!!!』」
........
.....
...
「舞姫、戻りました!」
屋敷内で二人殺し、中庭で暗殺部隊の三人を相手にしていた頃、捕虜を保護した蒼猫が帰還し背中を預ける。
「捕虜も村人も、すべて保護完了です。ご安心ください」
「ありがとう、助かった」
「いえ、すべて舞姫のおかげです。あとはこいつらを何とかしましょう」
蒼猫の言葉に、はうなずく。屋敷は奇襲と同時に放たれた炎で焼かれ、今も轟音を立てながら燃え続けている。ちらりと横を盗み見ると、屋敷の主である彦摩呂は、座ってたちの戦いを見ている。その姿に違和感を感じつつ、辺りを見回した。
今いる場所は、屋敷の中でもかなり奥まった場所にある中庭。の得意とする水遁の攻撃で一部沈下されているものの、その炎の勢いは凄まじい。場所を知らせない限り、援軍もここまでたどり着けないだろう。どうにかして連絡を取りたいが、敵がひっきりなしに攻撃を仕掛けてくるため送る隙も無い。
そんなことを考えていると、複数のクナイが二人の背目掛けて投げ込まれた。よく見ると起爆符も付いている。
―…まずいっ!!!
バンッッッ!!!!
大きな爆音と共に周辺にあった木々がなぎ倒され、炎に勢いが増す。と碧猫は左右に飛び、上手い事引き離された。その瞬間燃え盛る屋敷の壁に水遁で空間を作ると、援軍に居場所を伝えようと印を組み、小さな蝶を呼び出す。その蝶の羽に指先に込めたチャクラで文字を書き上げ、飛び立たせようとしたその時…
「見ぃ〜つけた」
「!!」
ドンッ!!!!!!
突然一人の大男が目の前に現れ、持っていた大鎌を振り下ろした。その瞬間飛び降りたものの、蝶は綺麗に切られてしまっている。連絡が出来ず焦るとは裏腹に、大鎌を持った男と共に彦摩呂が悠然と現れる。
「ちょこまかしやがって…お館、こいつ殺していいか?」
「だめだと言うておろう。こやつは後で嫌って程、我の恐ろしさをわからせてやるのだからのぅ」
そう言ってどす黒い笑みを浮かべると、再び一言「捕らえろ」と言い放った。
********
蒼猫が一人、が二人を相手しているが、さすが雇われとはいえプロの暗殺部隊。二人とも既に肩で息をしていた。彦摩呂は相変わらず少し離れた場所から眺めるだけで、手を出すつもりはないようだ。
『、お前チャクラだいぶやばいぞ』
淀が語り掛けるも、そんなことはが重々承知していた。屋敷内での二人の戦闘に加え、今相手いるうちの一人が、刀を受けるたびにチャクラを吸い取っていく不思議な技を使ってきている。コイツを止めないと自身が危ない。
「わかってる…淀、もっとチャクラちょうだい」
『バカ言え、村全体への幻術に傷付いた暗部への天雫飛ばし、誰のチャクラを使ってると思ってんだ』
「でも次で人数を一気に減らすから、何とかお願い」
『…次の攻撃でオレはしばらく出てこれねぇぞ』
「承知!」
そう言うと後方へ高く飛び上がり、燃え盛る屋敷の元屋根上へ飛び乗ると、素早く印を組み二人のチャクラを練り上げた。
「『水遁、氷華絢爛!!!』」
の声と共に数えきれないほどの氷の花がの相手していた男二人、蒼猫の相手している男の元へ飛んでいき、体ごと凍らせ地に固定させる。その瞬間を狙っていたかのように蒼猫が彦摩呂以外の男を全員殴りつけ、粉々に砕け散った。これで彦摩呂と二対一…奴は貴族の身だ、大した力はないはずだ。捕縛も簡単にできるだろう―…普通に考えれば。
だがはこの戦闘中、妙に余裕のある彼の佇まいにずっと違和感を感じていた。彦摩呂は両手を上げ降参の意思表示をしているが…まだ何かある…?
「鈴城宮彦摩呂、木の葉へ連行する」
蒼猫がそう言い、ゆっくりと近付く。ふと彦摩呂の表情を見れば、口元が大きくニヤついている。
「…断る」
「何?」
その言葉と同時に彦摩呂は腕についているボタンのようなものを押すと、上空から新たな暗殺部隊が数人降りてくるのを感じ、は彼女の腕を力強く後ろに引く。だが少し遅かったようで、蒼猫は大きく斬られ、服を赤く染め倒れた。
は手に持つ短刀でその人物の攻撃を受け止めるも、新たに上空から来た暗殺部隊により手刀を受け、意識を手放した―…。
...
.....
........
そして現在、目が覚めたら吊るされている状態。殺されていないだけ感謝だ。どうやらここはあの屋敷とは違う場所らしい。遠くに小さく話声が聞こえる。視界が広い上に自分の髪が見える。面は取られ、髪もほどけてしまっているようだ。もっと情報を得ようと、未だにボーっとする頭を何とか集中させる。
「…にしてもよ、舞姫って首がかかってるくらいだし、どんな憎らしい顔かと思ったら美味そうな女の顔してやがった」
「あぁ…お館さんよぅ、さっさとあいつの首とっていいか?そんで金寄越せよ」
「…気が変わった。首は取らぬ。我と舞姫がこの国を出る邪魔をする連中を殺せば、倍の金額をやる」
「はぁ?なんだよそれ、めんどくせー。倍じゃ足りねーよ、三倍だな」
「構わぬ」
何考えてんのよ、あいつ…私を連れて国を出る気?その前にこっちがお前を捕縛してやる。そんな強気な言葉を思っていても、体はうんともすんとも動いてはくれない。体によく神経を回してみると、見事に両腕が折られていることに気付いた。足もドクンドクン脈打っているのがわかる。捻ったのか、折られているのか……。
―…腕折られてたら印が組めない…最悪…。
さすがのも、この事実に俯く。こういう時頼りになる淀に呼び掛けても、彼は宣言通りチャクラ切れで出て来られないようで、返事はない。何故こうなってしまったのか、悔しさで唇を強く噛みしめる。口の中には鉄の味が広がった。
―…ナルト……。
そう思った瞬間、は自分自身に驚いた。
―…今、私は誰を思い浮かべた?誰を呼んだ?
少し前までは猛が一番だった。どんな状況でも猛が助けに来てくれて、猛に助けを求めていて、何があっても猛を思い浮かべていた。それなのに、何故ナルトが思い浮かんだんだろう。私なんか役に立たないとか暗部には入れないとか散々言って、喧嘩した相手なのに。何故か分からないけど…ナルトが思い浮かんだ…。
言い合いしたし、クッション投げつけたし、大キライまで言ってしまった。勝手ばかりする私を、助けになんか来てくれないのはわかっている。それでも…
ー…ナルト…助けて…。
目の前で「だから言ったじゃねーか!」とガミガミ怒るナルトを想像しては、静かに消えていくのを暗闇の中でじっと見つめていた。