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 上忍になるまで、実践を経験したことなんて一度もなかった。
 目の前を舞う赤い雫、助けを請うか細い声、動かなくなった身体―…最初は毎晩夢を見てはうなされた。
 『生きる』って何なのか、また分からなくなりそうになった。

 でも毎回任務を終える度にかけられる温かな労いの言葉。タケやトラが、私の頭に手を置いて『お疲れさん』『頑張ったな』って褒めてくれるのが嬉しくて。
 もっといっぱい、この言葉を言って欲しくて。誰かのためになることが、すごく嬉しくて。

 私は『まだ頑張れる』って思えるんだ。

九.天雫-アマノシズク- T


「えー、ねぇちゃん、明日からいないのかよー!?」

 ヤダヤダヤダー!!と、ナルトの元気な駄々が部屋中に響き渡る。その様子には「でもねぇ、任務だから…」と少し困ったように言いながら、テキパキと荷物を纏め始めていた。驚いたように目を見開きながらも無言で見つめるシカマルと、駄々っ子のように文句を言い続けるナルト。外では夏の到来を知らせるかのように蝉が鳴き、お日様のような黄色い花々が気持ちよく体を揺らし始めた、そんな季節のことだった。

 今回初めては明日から急な任務で二週間里を離れることとなったのだ。この事実をたった今知ったナルトとシカマルは、思い思いに不安と疑いの感情を表していた。
 も上忍になってもう半年近く。経験も実力も、そして何よりも精神面も大きく成長した。今まで長期任務は三代目の考慮によって避けられていたが、これまでのの成長や功績から抜擢されたようだ。表では騒ぐ姿をしていても纏っている空気が異様なほど急激に下がったナルトを肌で感じながら、シカマルは机を挟んで向かいに座るナルトに術を使って話しかけた。

「(おい、こんな話聞いてたかよ)」
「(…いや、今初めて知った)」
「(そりゃこいつの成長は嬉しい限りだが…でもなぁ…)」

 そんなシカマルの呟きにチッと小さく舌打ちをすると、ナルトは静かに怒りの矛先を三代目に向けていた。二人ともの成長を喜ぶ半面、どこか危なっかしい彼女が心配で仕方が無い。言うなれば『ずっと面倒見ている妹を初めて長期任務に出す』、そんな心境。
 夜になり帰宅時間となると、二人は「怪我するなよ!」「ちゃんと帰ってこいよ!」「帰ってきたら連絡しろよっ!」と口酸っぱく言うと、後ろ髪を引かれる思いで帰っていった。そんな二人の様子を見て嬉しい半面、は少し複雑そうな表情を浮かべる。

ー…心配してくれるのは嬉しいけど、ちょっと心配しすぎじゃない…?

 私だって立派な上忍なのに!と両腕を勢い良くあげ仁王立ちをすると、ピリッと左足首に痛みを覚えその場にしゃがみ込む。突然の痛みに表情を歪めると、あー、昨日の…と思い出し、ため息と共に小さなソファの上に寝転がった。

 正直、自身明日からの任務は不安だ。タケやトラ、三代目は忍になる時「暗部レベルの実力だ」なんて言ってくれたが、経験不足からか未だに小さな傷が絶えない。昨日は息の根を止めたと思っていた敵が、最後の最後でクナイを投げ、弱弱しくも左足首にかすってしまった。毎回怪我をしてしまうのはタケとトラには絶対内緒の極秘事項。の中でトップシークレットなのだ。言った瞬間確実に叱られ呆れられ、タケに至っては最悪の場合シカトものだ。

 …というのも以前、一度だけふくらはぎを刃物でパックリやられた時、偶然家にいた二人に見せたことがあった。傷を見たトラは「どうやったらこんなんなんだよ…」と呆れ、タケは目を大きく見開いてすごく驚いた表情を見せた後ムスッとした顔になり、たった一言

「さっさと治療しろ」

と言ったきり、その後しばらく一言もと話してくれなかった。トラのように呆れながらも心配してくれる(治療もトラがしてくれた)ならまだしも、にとってタケの怒りは理解不能だ。わけもわからずシカトされるなんて、もうこりごり。
 今回の任務では怪我せずに帰還してやるんだからっ!と、は秘かに誓った。

........
.....
...

 準備を整え軽く仮眠をとり、朝日が昇る前に出発する。荷物を抱えて門へと駆けだそうとした時、任務帰りなのか、真っ黒なマントに身を包んだ獅子面が話しかけてきた。

「任務なんだってな」

 突然目の前にタケが現れたことに多少驚いたものの、じっと見つめて小首をかしげる

「…なんだ」
「…タケ、だよね?」
「は?頭だけじゃなく目までも悪くなったのか、お前」

 そんなタケの声を聞こえているのかいないのか、は無言で見つめ続けた。

―…何か一瞬タケじゃない雰囲気もある気がしたけど…気のせいか…?

 しばらくしてそう呟くと「で、何だっけ?」と話を促す。タケは内心不審に思いながらも「任務だろ」と続ける。

「うん、初めての二週間国外任務!…って、何で知ってるの?」
「!!」

 その時、はほんの一瞬だけ見せた少し驚いたような、焦ったようなタケの表情を見逃さなかった。しかしその後すぐ、何もなかったかのように普通に「トラに聞いた」と言ってのおでこを小突く。

ー…んー…何か納得いかない。さっきのあの一瞬の表情も、あの違和感も…何なんだろう…

 小突かれた額を押さえつつ考えるが、ふと時計を見ると集合時間の十分前を示していた。

「わっ、もうこんな時間!行ってくるね!」

 は微笑み手を上げると、タケの「行ってこい」の言葉を背に駆けだした。

「…無事に帰ってこいよ…」

 小さなタケの言葉は、朝日を待ち続ける向日葵たちにしか届いていなかった。

********

 の初の長期任務を見送ってから一週間。一週間という期間を、これほど長く感じたことはなかった。出発したその日からずっと『怪我してんじゃねぇか』とか『迷子になってないだろうな』とか、ほんの些細なことまで気になって仕方が無い。正直オレ自身の任務より遥かに緊張感を保っていると言っても過言じゃない。大体あいつは誰にでも優しいから心配だ。その上少し…いや、かなり抜けてる。年上なのに全然そうは見えない。でも優しくて味方になってくれて器がデカくて……そして何より、オレを包み込んでくれるようなあの暖かさ。
 …ここまで考えて、話の論点がずれていたことに気付き、頭を強く振った。

 とにかくの姿を見るまでは安心できない、そんな空気が常に猛獅子姿でもナルトに纏わりついていた。そんな心情をシカマルにはバレないように、とは思っていたが…今日ついに「落ち着け」と言われてしまい、ギロリと睨みつける。

「…何がだよ」
「バレバレなんだよ、お前」
「…チッ」

 オレだって落ち着けるものなら落ち着きたい。でも今オレを落ち着かせるには、あいつが帰って来る他何もないのだ。しかし帰ってきたら帰ってきたで、あのわけのわからない感情に振り回される。その上、あのシロツメクサを貰って以来、なんと言い表せば良いか分からない感情が生まれていることに、自分でも気付いていた。
 彼女が自分以外の誰かの話をするだけで、心の底から『嫌だ』と思ってしまう。彼女のことを考えるだけで、会いたくなる。会って、ナルトの姿で抱きしめて欲しくなる。あの優しさや暖かさをすべて自分だけのものにしたくなる。

「何なんだよ、これ…」

 自分でもわからない気持ちだけが空回りする。生まれて初めて持つこの感情に振り回されるのが、すごく嫌だ。このどうしようもない思いをやり過ごそう何度か頭を振るうと、たった今トラに渡された一族の最新情報を読み始めた。

一族―…主に水遁系のチャクラを使用し、水遁系のスペシャリストと呼ばれる。中でも一族最後の生き残りであった猛はその実力からさまざまなオリジナル技を編み出すも、その多くは残されておらず謎のままである。】

 そんな資料を読みながら、やっぱり頭では一族ではなく個人のことを考えてしまう。は上忍、猛獅子は暗部。猛獅子が彼女の戦闘を見たのは、実力を見るためにやりあったあの一回のみ。猛獅子自身もあの時、の実力を知ってすごく驚いたものである。忍術・体術・幻術を上手く組み合わせては自分との距離を確実に縮め、的確に力を使う。その時に繰り出された技の数々を思い出し、確かに水遁は得意そうだったように思う。

 そして気になるのが「猛のオリジナル技」…。資料には一切詳細は載っていないが、猛の名前が残っていた任務記録から一つだけわかることがあった。それはこのオリジナルの中に、最低一つは『医療系忍術』があるということ。どの内容を読んでも、猛とマンセルを組み戦闘で瀕死を負ったヤツらが全員、次の日には無傷で任務に復帰しているのだ。その代わりと言っては何だが、猛自身の任務記録はその後、最低三日は出てこない。何らかの体に支障を与える技らしい。

「…無理してねぇといいけど……」

 思わず声に出していて、シカマルが苦笑いを浮かべながらこっちを見ていた。

********

 それからさらに数日が経ち、の任務終了予定日まであと数日まで迫った、ある日のお昼前のこと。

―…今までちゃんと時間通りに終わらせてきていたのだ、今回だってちゃんと帰ってくる。

 今はタケ姿のナルトはそう何度も言い聞かせては、心を落ち着けようと他の資料に目を向ける。…が気になって気になって、気がつけばやっぱり上の空。そんな様子を見たトラが「落ち着けって」といいながら緑茶を差し出す、そんな日々を送っていた。こんなにも他人の心配をするタケを見るのはトラも三代目も初めてのことで、その感情が嬉しくて思わずちょっかいを出してしまう。

「タケ、例の報告書出したか?」
「…あぁ」
「昼飯の一楽代、出してくれるかのぅ?」
「…あぁ」
「今日のSランク任務、代わってくれるか?」
「…あぁ」
「すっかりナルトはっ子じゃのう」
「…あぁ…って違うって言ってんだろっ!!」

 今まで適当に返事していた分、脳が三代目の発した言葉を理解すると思いっきり反論した。タケがこの類のちょっかいに引っかかるのは、この数日間でもう数十回目。この数日間で何度もやられてはひっかかり、その度に何度も同じ反論をし続けていた。っ子ってなんだよ!大体あいつの方がガキだ!なんて慌てながら年相応の反応をするナルトが嬉しくて、二人はニヤニヤ顔を抑えることは出来ずにいた。

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.....
...

 そうやって何度もいじられおちょくられつつも、やっと迎えた帰還予定日当日。オレは朝から自分でもわかるくらいにそわそわしていて、何度もシカマルに声をかけられた。しまいにはニヤッと笑いながら「門まで迎え行けば?」なんて言われる始末。ここまで来たんだ、ちゃんと待つに決まってんだろ。じぃちゃんは昨日のうちにあいつの班からの帰還連絡を受けているらしく、やはり嬉しそうに夕方には里に着く予定だと教えてくれた。

―…それまでに仕事を終わらせて、絶対ナルトの姿で会いに行く。見えた瞬間抱きついて、あのくそまっじー飯を一緒に食べるんだ。

 そう決めてたのに…そんな楽しい夜を想像してたのに…。

 辺りが闇に包まれ一番星が輝き始めても、は帰って来なかった。