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 『生きている価値』…そんなの誰がわかるのだろう。
 誰が基準で何をすると基準以下で、どうすると以上なのか。
 誰がどうやって他人の『価値』を決めるられるのだろう。

 こんなの人が決めるもんじゃない、生きていること自体に価値がある…そんな当たり前のことを私に教えてくれたのは、間違いなくキミだったんだよ。

八.シロツメクサ U


 ナルトくんも丁度買い物へ向かう途中だと言っていたので、私たちは並んで商店街へ向かう。「一緒に行こう!」と誘った時に見せたあの嬉しそうな表情と、そのすぐ後に見せた困惑した表情。初めは強く拒絶されてしまったけれど、私は無理矢理にでも一緒に行くことを譲らなかった。ここまで拒絶されたのは初めてなので、何かあるのかと不安になった。
 商店街に近づくにつれて人も増えていく。そこでやっと、ナルトくんが拒絶した理由を理解した。

「アイツが来た」
「あんな子いなくなればいいのに」
「三代目様も何であんな子を生かしておくのかしら」

 小さいながらも確実に聞こえてくる、汚れた大人の心無い言葉。罵ることでしか自分をコントロール出来ない、悲しい心。そんな言葉を私は無視を続けながらもナルトくんの隣から一切動かず、一緒に商店街を目指した。

*****

 商店街に入るとオレに対する大人たちの心ない言葉はどんどん大きくなり、嫌でも耳に入ってきた。自分が悪く言われるのは慣れている。でもやはり、無意識に顔は下を向いていた。何も知らないには、自分が嫌われていると知られたくなかった。まだ彼女に拒絶される心の準備ができていない。そして何より…まだもう少しだけ、の暖かさに触れていたい。そう思うことは、贅沢なのだろうか。

「ナルトくん、顔上げて」
「!!」
「あんなのに負けちゃダメ。ね!」

 俯きながら不安に飲み込まれそうになっていると、突然左手に感じた暖かなぬくもりと、そのはっきりと向けられた言葉に顔を上げた。その瞬間ににまで被害が及ばないよう手を放そうと強く振ってみるが、はぎゅっと強く手を握り返してくる。それと同時に真っ直ぐに前を見据えて堂々と歩き始めた。

…ねぇちゃん」
「ん?」

 名前を呼べばいつもと同じように、暖かな笑顔で応えてくれた。こんなにも優しいまで一緒に蔑まれたり罵られるのは、耐えられない。だからせっかく握ってくれたこの暖かな手を放そうと思った。何度も思ったが、結局出来なかった。彼女の方が力が強いからとかオレの方が手が小さいからとか、そんなんじゃなくて。ただ純粋に、オレ自身が手を放したくなかった。


 無事に目的の店につき、カゴを片手に一緒に買い物を始める。周りの大人達は相変わらずオレを見ては小さく罵り、しまいにはさえもバカにされ始めていた。それに耐えきれなくなりパッと手を放すと、さっさと欲しいものをカゴに入れレジへと向かった。その時がどんな表情をしていたかなんて、見る余裕もなかった。

 そして事件はとうとう起きた。
 会計を済ませ店の外に出ると、相変わらず無言なオレの気を引こうと一方的にが話しかけてきていた。その時一人の男が突然汚い言葉を浴びせながら、オレの顔を殴りつけてきた。避けようと思えば避けられたが、避けたらに当たってしまう。そう判断したが故に衝撃を真正面から受けてしまい、体は思いの外吹っ飛んだ。

「ナルトくん!!」
「…って……」

 頬を抑えながら何とか顔を上げるとは屈み込み、まるで自分が痛めつけられたかのような、そんな顔でオレを見つめていた。「大丈夫?!」とその細くて柔らかな手がそっと頬に添えられて、気付いた…のその暖かな手が小さく震えていることを。オレは心配させまい、嫌われまいと必死に笑顔を作って彼女の目を見た次の瞬間、は一瞬にして視界から消えた。

バンッ!!

 オレが殴られた時よりもさらに鈍い音が響き、辺りは騒然としている。周りでひたすら耳障りな言葉を並べていた大人たちも、一斉に同じ方向を見た。そこには赤くなった頬を押さえながら、わけがわからなそうに地面に尻もちをついている男と、拳を握りしめながらまるで汚いものを見るかのような冷たい目で男を見下ろす、の姿があった。

「何すんだ、このガキが!」
「貴方こそいい大人が子供相手に何してんのよっ!」

 華奢な少女が音もなく移動し、突然大の大人を殴り倒したのだ。当然といえば当然だが、オレも含め誰一人としてこの状況を理解できず、黙り込んでいた。しばらくすると正気を取り戻したのか、たった今に殴られた男が大声で言ってきた。

「こいつは化け物だ!こいつのせいで里は崩壊寸前にまで追いやられ、多くの人間が死んだ!こいつに生きる価値なんかねぇんだよ!!」

 その言葉に便乗して、周りの大人たちの小さな声が再び聞こえ始める。は相変わらず冷たい目で辺りを見回していたが、オレは九尾のことがにバレて、それどころじゃない。バレたからにはきっと嫌われる。離れたくない、まだ一緒にいたい…そう思う心と、拒絶されるであろうという悲しさでぐちゃぐちゃだ。でもそんな中でも、目の前で黙って立っているのチャクラがすごい勢いで上がってきたことを感じ、眉間に皺を寄せる。

「(…?)」
「…だから?」
「?」
「そんなくだらない理由でこの子がいじめられて当然だ、とでも言いたいわけ?」

 目は据わり、握られた拳は怒りで小さく震えている。辺りの大人たちは驚いた様子でを見つめていた。

「私からしたら子供が苦しい思いをしてるのに、大勢で罵ったり見て見ぬ振りをする、この里の人間の方がよっぽど化け物だわ」
「な、なんだと?!」
「それに貴方には『生きる価値』とやらがあるんですか?私にはどう見ても、貴方は里にとっても一人の人間としても『害』しかないように見えますけどね!」
…」

 普段穏やかな彼女が、ここまで怒る姿は初めて見た。それも、自分のために。ここまで言われた男は、顔を真っ赤にして怒っている。

「…ガキだと思って黙ってれば…!!」

 男は今度はに殴りかかってきたが、は素早く躱し力一杯急所に蹴りを入れた。

「ぐおっ!!」
「あまつさえ女にも手を挙げるなんて、ほんと最低…」

 人間の底辺ね、と言い放つと、オレにはまるで何事もなかったかのような優しい笑顔で「立てる?」と手を伸ばしてくれた。その手をそっと取ると、ぐっと引き寄せて立たされた。は大人たちの視線に嫌気がさしたのか、一言

「金輪際、この子に対してこういう醜い言動は止めて下さいね」

と黒い微笑みを向けると、オレの手を引き颯爽と歩き出した。蹴られて苦しんでいる男のうめき声以外、新たな言葉を口に出すものは誰一人としていなかった。

.......
.....
...

 片手に荷物を持ちながら、二人で手を繋ぎ川沿いを歩く。怒りが収まりきらないのであろうの足取りはどこか忙しなく、今のオレの姿ではひたすら手を引かれて小走りすることしか出来ない。気持ちのいい風が、川沿いに広がるシロツメクサを優しく揺らす。そんな軽やかで清々しい初夏の空気を余所に歩き続けていたが、今の自分の位置では彼女の顔が見えないため、どこか不安になる。彼女の様子が気になり声を掛けた。

「…ねぇちゃ…」
「ごめんなさい!」
「?!」

 声を掛けたのと同時に前を歩いていたが突然くいっとオレを見下ろすと、空いた左手を顔の前に合わせて謝りだした。突然のことで驚いたが、これは何に対しての謝罪なのか…オレを受け入れられないってことなのか……。そんなことを考えていると、は申し訳なさそうにオレを見て言った。

「突然怒鳴ったり殴ったりして、怖かったよね」

 予想外のことへの謝罪で、オレは目を見開く。怖いはずがない。はオレのために怒りを感じてくれたんじゃないか。

「そんなことねーってばよ!ねぇちゃんはオレのために怒ってくれたんだろ!」
「でも、大人としては良くなかったよ。ごめんね、反省してる」

 しゅん、とした顔をしている。そんな彼女の優しさに触れて、心が暖かくなる。それと同時に、先ほどの大人達の言葉が蘇り、この温もりが離れていくんじゃないかと不安になった。

「…ねぇちゃん、オレのこと怖くねぇのか…?」
「え?」
「あいつらも言ってたろ?オレは化けも…」
「ナルトくんはナルトくんだよ」

 『化け物』と言おうとしたその言葉に被せるように、のはっきりとした言葉が耳に入る。そしてそっと繋いでいた手を離し荷物を足下に置くと、彼女の視線よりほんの少し低いオレに合わせてかがんだ。

「知ってるよ、九尾が十一年前に何をしたのかとか、彼が今ナルトくんの中にいることとかも全部…」
「……」

 知ってると言われ、思わず俯く。まさか知られているとは思っていなかった。じゃあ知っている上で、今まで普通に接してくれていたのか…?なぜ?何のために?それは彼女にとって何の得になる?の心がわからず彼女を見つめていると、は川辺に座わりおいで、と手招きする。オレは躊躇いながらも、少し距離を置いて座った。

「でも、私はナルトくんはナルトくん、九尾は九尾だと思ってるよ」
「…ねぇちゃん…」

 だからあんなの気にしちゃダメだよ、と微笑む。それはオレ自身何度も繰り返し言い聞かせていた言葉と同じ。けれど他人に言われると、こんなにも嬉しく思えるのか。思わず込み上げてくるものを堪えるため、オレは俯いた。彼女は何故こんなにも温かいのか…何故オレを受け入れてくれるのか…。分からないことだらけだけど、ただ一つ確実に言えること、それは『は今までの里の人間とは違う』ということ。

「生きる価値…」
「え?」

 頭上からふと小さく漏れた言葉に、頭を上げる。するとは少し遠い目をして言った。

「あのバカな大人が『生きる価値』どうこう言ってたでしょ」
「…あぁ」
「ナルトくんはどう思う?『生きる価値』ってなんだと思う?」

 生きる価値…それをあんな大人にどうこう言われる筋合いは全くない。むしろ猛獅子として暗部総隊長として里を守っている身だ、自分より立場の弱いヤツを罵るあいつより価値はあると自負している。
 でも『うずまきナルト』としてはどうなのだろうかと、考えることは正直ある。ナルトの姿ではまだチャクラも上手く扱えない。アカデミーの卒業試験も三回落ちてる。誰もオレに期待していない…そんなオレに『生きる価値』はあるのだろうか。

「…オレはバカだしみんなから嫌われてるし、正直分かんねぇ…ってばよ」

 思わず普段の口調で本音を告げてしまい、慌てて語尾に言葉を付け加える。は大して気にしなかったのか普通に「そっか…」と小さく言うと、オレと彼女の間に広がってた沢山のシロツメクサの中から1本抜いた。それは他の物と同じ緑色で、真っ直ぐと空に向かって伸びている。

「例えばさ、この子はここに広がる他のシロツメクサ達から、私が抜いたことによって一人逸れちゃいました」

 すると何か術をかけたのだろう、次の瞬間には鮮やかな緑色は消え、輝く金色に変わった。一瞬の出来事に思わず目を見開くオレを尻目に、は言葉を続ける。

「さらに他の子とは違う、金色にされちゃいました。この子は『シロツメクサとして生きる価値』が無くなっちゃったってことなのかな」

 目の前には金色のシロツメクサ。地から離れても色は変わっても、他のシロツメクサと同じであることには変わりない。この金色の葉も『シロツメクサとして生きる価値』は同じなはずだ。オレは首を横に振った。

「うん、私もそう思う。むしろこの子は他の子と違う経験をして、一生を終えるはずだった地面から自由になった。緑から金色に変わって、より太陽の光を受けて輝けるようになった」

 そう思わない?そう言ってオレに手渡してきた。目の前に差し出されたそれをそっと受け取ると、それは真っ直ぐに天に向かってキラキラ輝いている。

「きれい…」
「ね、とっても綺麗。この子は他の子と違う経験をしたことで、ナルトくんに手に取ってもらえた。そして地より高い世界を見ることができた。『綺麗』って言ってもらえた」
「うん」
「他の人に『普通のシロツメクサじゃない』って言われたとしても、この子自身にとっては生きているだけで『価値』のあることだと思わない?」
「価値…」
「つまり、この子はナルトくんと同じ」
「…?」

 わからない、というように首を傾げてを見ると、彼女は柔らかく微笑んで言った。

「私は『他の子と違っても、ナルトくんが生きることそのものに価値がある』と思ってるよ」

 他のシロツメクサは眼下で鮮やかな緑の絨毯作っている。一方手に持つたった一本の金色のシロツメクサは、陽の光を浴びてキラキラ輝いていた。そこにはしっかりとした三枚の葉…と、その間に隠れるように一生懸命に葉を広げるもう一枚の葉。初めて目にする金色の四つ葉のクローバー。陽の光を浴びようと一生懸命葉を広げる四枚目の葉を見て、すごく勇気をもらっている自分に気付いた。そして自分自身を認め、生きる価値があると言ってくれた彼女の考えが嬉しくて、自然と頬に涙が伝っていた。

―…まぁこれはタケが教えてくれたんだけどね。タケって言うのは私の面倒見てくれてた友達でね―…。

 なんて言葉を続けるだけど、オレは今への感謝と暖かな気持ち、そして溢れる涙でいっぱいで続きは耳に入ってこなかった。

「さ、帰ろっか」
「おうっ!!」

 涙でぐしゃぐしゃになったオレを見て優しく微笑む顔と、真っ直ぐに伸ばされた手のひらが嬉しくて、伸ばされた手をぎゅっと握り返した。右手には金色の四つ葉の葉、左手には暖かなの温もり…何があっても手放したくない、と強く思った。

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 二人でまったり歩いて帰ると、シカマルくんに皮肉交じりに一言「地球の裏まで買い物にでも行ってたのか?」なんて言われてしまった。確かに予想を遥かに上回る時間だ。そんな言葉に苦笑いを浮かべつつ事情を説明しようと口を開きかけると、じゃじゃーん!と後ろに隠れてたナルトくんが飛び出した。その瞬間「なんでお前がここいんだよっ!」「ご飯食べにきたってばよっ!」なんて言って、いつものじゃれあいが始まる。

 こんな毎日が楽しくて幸せで、気付くと私も笑顔になれる。そんな私の幸せな日々を、ナルトくんが握りしめている金のシロツメクサが暖かく見てくれている気がした。