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 帰宅する度に、明かりも付けずに玄関にいるアイツ。時間なんてマチマチなのに、まるでオレの帰宅時間がわかっているかのように必ず立っている。まだ暗闇が辺りを包み込む朝方なんだから、お前みたいなガキは寝てろっての。
 そんなアイツが初めて、洗面所へ向かうために横を通り過ぎるオレの裾を引っ張る。話しづらそうに、でもしっかりと話し掛けてきた。
その言葉は…

Christmas Memories U


 アイツがこの里に来て約二ヶ月。同居が始まって数週間。あの残暑の蒸し暑さは消え失せ、寒さが染み入る、そんな季節になっていた。
 そして気付けばあと数日で十二月。そんな頃になってやっと、初めてこの少女が口を開いた。しかしその内容にオレは固まった。

 いつものように任務を終え、太陽と入れ違いで帰宅する。そしていつものように玄関の扉を開くと、やっぱりアイツが立っていた。もう慣れたのでそのまま無視して横を通り過ぎようとした所、くいっと何かに引っ張られた気がして振り返る。視線をいつもより遥か下に下げると、小さな白い手がオレのズボンをつかんでいる。

「何」
「…て…よ?」
「…は?」

 初めて聞くコイツの声。か細くて弱弱しい、女の子の声。あまりにも小さくて聞き取れず、オレは冷たく聞き返す。任務で疲れてんだ、さっさと言えよ。
 するとアイツはすごく言いづらそうに、でも今度ははっきりと言った。

「おてて、ぎゅーしよ?」
「……は?」

 何を言い出すんだコイツは。意図がわからず、ずっと下にある薄桃色の瞳を見つめる。不安からかわからないが、その色は少し潤んでいるようにも見えた。初めて言葉を発したと思ったら、突然の申し出。理解の域を越えているし、それより何よりワガママ。オレは疲れてんの。さっさと寝たいの。わかる?ガキンチョ。これだからガキは嫌いだ。

「却下。意味わかんないし」

 この冷たい一言で、オレは少女の手を振り切った。するとこの少女はじっとオレを見上げると、まるで何事もなかったかのようにいつも通りソファへと戻る。毛布を被り丸くなって、オレの目の前にはいつもの小さな山が出来上がっていた。

「…可愛くない」

 突然起きた、突然の少女の行動に多少なりとも驚いた。しかしあんだけ冷たく突き放したのだから、ガキはガキらしく泣いたり叫んだりすればいいじゃないか。なのにあの無反応な態度…ホントに可愛くない。
 まぁこんだけ酷い態度を取ったんだ、明日はもうないだろう…そうタカをくくってその日は眠りに着いた。

 しかし彼女はオレの予想も裏切り、次の日もそのまた次の日もオレの帰宅と同時に話し掛けてきた。それは決まって

「おてて、ぎゅーしよ?」

 まるでバカの一つ覚えのように、この言葉だけを必死に繰り返してきた。それでもオレは毎回毎回彼女の伸ばした手を振り払い無視しては、彼女の横をすり抜けて行っていた。コイツは泣きもしないし、怒りもしない。オレは一切振り返らない。
 だからオレが冷たい態度で背中を見せる度に、実は毎回泣きそうな顔をしてるだなんて全く気付いていなかった。

********

 そんな日々が数日続いた。ずっと無反応だったオレにそろそろ嫌気をさせよ、オレに執着すんなよ…。そう思っていた矢先、朝方に帰宅したオレに彼女はいつものように手を伸ばし、オレのズボンを掴もうとした。彼女の指先が触れるか触れないか、その寸での所でその小さな手を叩く。パチンッ、という乾いた音が闇に響いた。
 毎日振り払っていはいたが、こんなにも音が出るまで叩いたのは初めてだ。さすがに今回ばかりはやばい、と感じた…何故だかわからないけど。
 しかし少女は、しばらく動かずに固まっていたが、まるでオレの拒絶なんかなかったかのようにいつもの言葉を口にしようとした。

「おてて、ぎゅー…」
「しない」
「……」

 彼女の言葉を遮り、いつものように否定の言葉を並べる。それに対してじーっと見上げてくる薄桃色の瞳。

 もういい加減諦めろよ。
 オレはお前に何も興味ないんだーよ。

 そんな意味も込めて、オレは彼女を冷たく睨み付ける。しかし彼女の次の言葉に、オレは不覚にも驚きを露にしてしまった。

「……いっしょにねんねしよ?」
「は?!」

 どんな思考回路してんだ、このガキンチョは。手を握んないんだから、一緒に寝るわけがないでしょーが。

「手も握らないし一緒にも寝ない。オレのことは放っといて。オレもお前に興味持たないから」

 新手な誘い文句を冷たくあしらって、オレは何もなかったかのように横をすり抜けた。


―…一人が一番いい。何も失わないし、何にも傷つかない。何かに執着なんか持ちたくない。
この時のオレは、ずっとこう思っていたんだ。

********

 しかし少女はそんなオレの態度にもめげず、毎日同じ言葉を繰り返した。さすがに手を叩き落としたのが効いたのか自分からオレに触れようとはしなくなったが、口は止めようとはしなかった。

「おててぎゅー…」「しない」
「…いっしょにねんねし…」「ない」
「……いっしょにちゃぷちゃぷ…」「しない」
「!!!お、おせなかおながしします?」
「はっ?!いらないし!」

 毎日毎日、同じことを繰り返す。時々新たな言葉を加えて。

 今日もすべての言葉を否定して浴室から出ると、やはりいつものようにソファに丸まっている彼女が目に入った。そっと近づくと見える、小さな寝顔。よくよく考えてみれば、自分から近づくなんてこの時が初めてだったのだけど、この時のオレは全く気付かなかった。

「よくもまぁいろいろ思い付くもんだ」

 オレの気を引くために、よくもまぁこんなにも頑張れるもんだ。はぁ、というため息と共に自分でも気付かないうちに笑みを浮かべていることに気付き、頭を振る。なに笑ってんのよ、オレ。

 それにしてもさすがに今日の「背中流す」宣言にはびっくりした。よくあんな言葉、知ってるな。


……いや、違う。相手は3〜4才児だ。誰かが教え無い限り、こんな言葉知ってるわけないじゃないか。


……誰かと会ってるのか?オレが寝ている昼間に……。


 今日は運良く非番。オレはそのことはアイツには告げず、天井裏から普段のアイツの生活を観察することにした。