
君のせい
パチン、パチン――……。
任務もない、暖かな昼下がり。将棋の駒を刺す音が、広い奈良家に響き渡っている。私は昨日から二連休。シカマルは昨晩遅くに帰還して、今日はお休みだ。そんなわけで私とシカマルは、一緒に奈良家の縁側にいる。
まぁ『一緒に縁側』と言っても、私は将棋が指せるわけでもないので縁側のある部屋でごろごろ雑誌を読んでいて、シカマルは縁側で本と将棋盤を交互に睨めっこしてるのだけれどね。つまり正確には『縁側近くの部屋で雑誌を読んでいる私と、縁側で将棋盤に向かっているシカマル』だ。でもそんなのは小さい頃から良くある光景で、私たちにとってはごく普通のこと。この光景をきっと一番見慣れているであろうヨシノさんとシカクさんは、昨日から任務でいない。
―…二人っきりなんだぞ、バカ。
そんなことを思いつつ、バレないようそっと視線をシカマルに向ける。見られてるだなんて思っていないシカマルは、相変わらず真剣な眼差しで将棋盤を見つめてる。整った横顔、真剣な表情、考えている時による眉間の皺、駒を指す綺麗な手…。私は小さく息をつく。
―…相変わらずカッコイイやつめ。
幼いころからずっと一緒なのに、いつまでたっても心惹かれるのはカッコいい君のせい。最近は意識しすぎて『二人っきり』だなんて思うと、私が勝手にどこか緊張してしまう。今まではそんなこと無かったのに。悔しいなぁ、私ばっかりこんな思いして。こんな想いを抱かれているだなんて知らないであろう当の本人は、さっきからこっちなんて見やしない。よく『先に恋した方が負け』って言うけど、ホントそうだよなぁ…今までわかんなかったけど実感してるよ、最近。
そんなことを考えながら再び小さく息をつくと、先ほどから内容なんて何も入ってきていない雑誌へと視線を戻した。
「…なぁ、…さん」
将棋盤をずっと見続けていたはずのシカマルから声を掛けられる。今まで将棋をしている時に話しかけられたことなんてないから、突然耳に届いた声に心臓が飛び跳ねた。それより何より―…。
「…なによ、『さん』って」
いつも呼び捨てで呼ぶくせに。一つ年上の私を今まで『さん』だなんて一度も呼んだこともないくせに。何で今日はそんな呼び方なのよ。無駄に飛び跳ねてしまった心臓を返せっ!
そんな想いを表には出さないように返事をすれば、シカマルは目線をこっちに一切向けずに話を続けた。
「あの…よ、今、暇?」
「暇って…まぁ、暇と言えば暇ですよ?」
そりゃ今は雑誌を読んでいる(正確には眺めている)だけだし、暇かと聞かれればまぁ暇なわけで。もし暇ってなら、何なんだい?なんでそんなに言いづらそうなの?
するとずっと響いていたパチッ、という、駒を指す音が止んだ。
「じゃ、ちょいこっち来て…クダサイ」
そう言ってシカマルは、将棋盤に向けていた体を縁側の外に向ける。そして私に背を向けながら、自分の座るすぐ右隣をぽんぽん叩いた。私はシカマルの傍に行けることが嬉しくて、言われた通りに近づく。ただ立って移動するのがめんどくさくて、ハイハイでだけど。【将棋盤と向かい合ってる時は邪魔しない】って幼いころから決めてたから、その途中でシカマルの近くに行くなんて初めてのこと。何となく私が将棋に勝った気がして、喜ぶ気持ちを抑えて近づいた。
そのまま縁側まで行きシカマルに近づくとすとん、と隣に腰掛ける。そして近くにいることが嬉しくて、ちょっと笑いながら言った。
「はいっ、来たよ?なぁに?」
「…おまえさぁ…」
「ん?」
シカマルは私を見つめながら少し呆れたような、困ったような顔をしている。そのまま頭をガシガシ掻いて小さくため息を一つくと、視線を逸らして言った。
「…んな顔、他のヤツにすんなよ」
「そんな…顔?」
そんな変な顔してたかなぁ?私は再び小首を傾げる。するとシカマルは先ほどよりも更に深い皺を眉間に刻み、何か気まずいような言いにくいような…そんな顔を浮かべて言った。
「…あー…もう無理…」
「ん?どうし…?!」
「どうしたの?」確かに私はそう聞こうとした。けれどその言葉は途中で飲み込まれてしまった。何故なら……
ごろんっ
「っっ!!??!?」
突然腿に感じる重みと暖かさ、そして髪の柔らかさ。部屋着のショートパンツという格好だったせいで、シカマルを素肌で感じる。
―…そう、これはいわゆる『膝枕』だ。
「シシシシカマルッ?!ど、どーし…」
「ねっっみぃ…」
「…へ?」
「もう無理。ねみーから、寝かせてくれ」
突然の行動に驚いて再び問おうとすると、何と「眠い」とのお言葉が。眠い…ねむい…ネムイ?!
「いやいやいやっ、眠いって!!こ、ここで寝るのっ?!」
「ん」
「いやいやいやいや!!」
決して嫌じゃないけどっ、ひ、膝枕ですよ?!こんなことならもう少し痩せておけばよかった…って違う違う違うっ!少し前まではいつもと変わらぬ光景だったのに、何この急展開っ!?私の頭はパニック寸前で、えーとえーと、と意味不明な言葉を繰り返す。
「あー、もーうるせー、黙っとけ」
「っっ〜!?」
うめき声を上げていた私の口元に充てられたのは、自分のよりも大きくて骨ばった手のひら。さらに色っぽい視線(私が勝手にそう思っただけだけど)で下から見上げられては、もう黙るしかない。
…一体どうしちゃったのよ、シカマル。
シカマルはしばらく私を見上げていたけど、静かになるとそっと手を外す。そして視線を外すと、ごろんと寝返りを打ち背を向けてしまった。今まで自分の事でいっぱいいっぱいだったけど、明らかにいつもとは違う様子のシカマル。私は自分の『照れ』よりも、昨日の任務で何かあったのではと『心配』の方が大きくなってきた。私は悩んだ挙句、シカマルの体にそっと手を添えて小さくポンポンと叩く。
「…シカマル?起きてる?」
「…ん?」
「どうしたの?何かあったの?」
「…なんもねーよ」
…絶対、嘘。私知ってるんだから。シカマルの「なんもねーよ」は何かあった時なんだよ。本当に何にもなかったら「は?」とか「バカじゃねーの?」って言うんだから。ずっと一緒に暮らしてるんだから、それくらいわかってるんだぞ。まぁ、このことは教えてあげないけどね。ずっと一緒に暮らしている私の『特権』だもの。
「ウソ。何かあったよ。どうしたの?」
そう言って背中を丸めて顔を覗きこむ。すると本気で寝ようとしていたらしいシカマルがうっすら目を開け、視線が交わる。そして体を再び上向きにすると、じとーっと、それはまるで私を責めるかのような視線を投げかけてきた。
「…のせいだろ」
「へ?」
いつも通りの呼び方に戻ると、なぜか責めるような言い方をするシカマル。え、私のせい?思い当たる節がなくて、頭の上に「?」が浮かんで首を傾げた。そんな私をシカマルはじっと見上げている。
「…お前さ、今日どこで目が覚めたか覚えてる?」
「どこって…シカマルの部屋?ごめんね、また間違えちゃったみたい」
私は夜中お手洗いに目覚めるのはいいんだけど、幼いころから帰る部屋を間違えてしまうことが多々あった。ここ最近は無かったのだけど、いつもはシカマルが部屋にいて、間違えてしまった時は私の部屋に連れ帰ってくれていた。けれど昨日はシカマルの帰宅も遅く、私が部屋に来たタイミングの方が早かったようだ。
「…で?お前は俺の部屋のどこで寝てて、俺はどこにいた?」
「…えーっと…」
私は記憶を辿り寄せようと、目線を上にあげる。確か目が覚めた時には申し訳ないことに私がシカマルのベッドを占領してしまっていて、シカマルはベッドに肘を預けながら床に座っていた。そして目を開けた瞬間、目に前にいた柔らかな笑みを浮かべたシカマルと目があった。…そう、『目を開けた瞬間』に『目の前に』、だ。
…ってことは、つまり…ずっと見られてた―…?
そこまで考えついて、私は勢いよくシカマルの顔を見下ろす。すると私を見上げていたシカマルは口を尖らせたまま、少し意地悪に言った。
「…そ。俺、昨日誰かさんのせいで一睡もしてねーの」
「っ!?!?」
「だから寝かせろ。お前に拒否権はねーよ」
―…可愛い顔して寝てんな、バーカ。
小さくそう言って、シカマルは私の鼻をむに、とつまむ。真っ赤になって慌てふためく私を見て小さく笑うと、優しく触れていた手は離れ、あっという間に背を向けてしまう。その数秒後には、私の膝の上で小さな寝息を立て始めた。
―…男の部屋で安心して寝てんじゃねーよ!俺のベッド返せ!
―…可愛い顔してすやすや寝てんじゃねーよ!天使かよ!?
―…あ〜…何こいつ、可愛い顔しやがって。俺の気持ち知っててわざとじゃねーよな?
―…何だよこの柔らかそうな唇…キスくらい…ってダメだ!
―…これは俺のベッドだし、ここは俺の部屋。ベッド入って―…ってダメだダメだ!
―…理性ーー!俺の理性どこ行ったーー!!!
任務で疲れ切ったシカマルが一人、一晩中そんな戦いを繰り広げていたことを私は知らない―…。